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教育記事 隠蔽体質の学校T・教員は社会を経験するべきだ

◇学校教員の不祥事が多発するなか、学校自体の不祥事も後を絶たない。未履修問題やいじめ問題に対する学校側の対応が、ある意味「社会問題」になっている。学校とは、児童・生徒に幅広い教養を教える場であり、社会ルールを教えていく場であるのに、学校自体がルールを犯しているようではもはや話にならない。国が定めた学習指導要領を無視し学校内では独自カリキュラムを実践し、国や地方の教育委員会には嘘を報告して学習指導要領を守っていることにしている。学習指導要領自体が現代の学校教育に必ずしも一致するものではないにしろ、問題の根幹は「嘘を報告した学校」そのものにある。

 

学校とは、生徒がいて教員がいて地域があって初めて成り立つ教育機関である。教員は、文部科学省が定めた大学の教員養成課程を経て学校教員の免許を取得する。学校教員の免許取得後、教員採用試験に合格してはじめて「教諭」として学校の教壇(講師・非常勤講師は除く)に立つ事ができる。小学校・中学校・高校の「教諭」の大半は、大学卒業後に採用試験で合格し、教員以外の社会人をほとんど経験せずに教壇に立っているのが現状だ。つまり、教員自体が学校以外の社会の場を知らないのである。社会人経験が全く無い人が集まって学校が構成されるわけだから、学校はまさに経験不足の人が集まった世間知らずの「井の中の蛙」状態だと言える。このような教員が集まった場だからこそ、学校は未履修問題にしろ、いじめ問題にしろ常識的な対応がとれない。世間に批判されても隠そうとする態度を改めない。調査するとは言いつつも、職員会議で調査結果そのものを隠蔽し、公表する内容を改竄する。校長の校内把握ができておらず担任教諭が事実を隠蔽する。まさに、どうにもならない状況だ。


中には素晴らしい教員もいる。生徒に慕われ指導力のある教員もいる。しかし、現状の学校という場は、明らかに教員としての資質に問題がある教員が多すぎのではないだろうか。前者の教員が大多数を占めていれば、今回のような不祥事が起きる前に何らかの対処策がこうじられていたとしても不思議ではない。後者の教員が多数を占めるからこそ隠蔽体質の学校が生まれ、真実を語れない教員が生まれるわけである。全国の教育委員会が不適格教員の指導を行ってはいるが、今回の一連の不祥事を見る限り、指導を行う側の教育委員会も不適格教員の集合体のように見えてしまう。真実は隠すことが正しいのだろうか。少なくとも学校で真実を隠すように教えてもらったことは無いはずである。学校を支えるべき教員や学校そのものがこんな姿になってしまったことは悲しい事実である。学校の改革や教員自体の再教育は当然として、教員全員に社会のルール、社会の常識を再教育として教える必要がある。教員以外の職業を経験してきた人は外すとして、大学卒業後に即教員として採用された大半の教員には、一定期間別の職業を体験させるなどして「井の中の蛙」から考え方そのものを脱却させなければならない。学校外のことをほとんど知らずして「社会にでたらどうのこうの、志望大学に合格するためにはどうのこうの」語る資格、指導する資格はない。教員以外の社会人経験をしてはじめて本当の意味での教員が生まれ、学校が生まれるのではないだろうか。閉鎖的な学校と教員は、この部分での体質改善していかなければ未来はない。


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2006年11月8日 アドネットニュース編集部